母、星になる ~余命宣告~

突然ガンの余命宣告をされた母と命の選択を迫られた私たちの家族の記録です。

命の選択

NIGHT02 2022年7日17日 日曜日

夕方の風景

病院で母の面会を終えて私たちは、母の実家で一息つくことにした。
母の実家には現在、私の従兄が一人で暮らしており、私や妹たちは節分や地蔵盆などの行事ごとや親族の法要以外で母の実家を訪れることはなかった。

 

各々夕飯を買っていき、一緒に食べ終わってから、私は15日からの経緯を妹夫婦と従兄の3人に話した。それから入院する際に病院で渡された書類を改めて3人に見せた。

  • 入院申請書
  • 入院診療計画書
  • 病状の悪化、急変時の対応について

急変時の治療に関する書類

 

「急変時の対応について」

書類には、急変時にどこまでの処置を行うのかの選択項目があり、私は一人では決められないから一緒に考えてほしいと3人に言った。具体的な内容は以下の通りだ。

 

  1. 呼吸の管を挿入しての呼吸器管理、心臓マッサージ等の可能な限りの治療を望みます。
  2. 呼吸器使用や心臓マッサージは望まないが、輸液や酸素吸入等での治療を望みます。
  3. 輸液も望まず、自然な形での看取りを望みます。

 

母は自分の身体が末期ガンに侵され、余命が短いことはまだ知らない。したがって、本人の意思を確認することは出来なかった。本人はまだ病気が治って家に帰れると思っている。

 

母の辛抱強く、頑張り屋である性格を考えると最後まで病気と戦いたいのではという意見が出た。しかし、現在の母の病状を考えると、ガンが骨にまで転移していて骨が脆くなっているので、心臓マッサージを行えば肋骨が折れる可能性がある。なので、①番は選択肢から外すことにした。

 

医師からは余命が短いと宣告されており、治療の施しようがない旨を伝えられていた。よって、自然な形で看取ることも検討された。私はなるべく母の意思に基づいて、急変時の治療を選択したいと思った。

 

3連休ということもあり、書類の提出は週明けの7月19日にしようと考えていたため、この日は結論を急がず、各々で検討することにした。

 

あと、私以外の親族が主治医から説明を受けていないこともあり、私たちは退院後の緩和ケアについても話し合った。母にとって父との同居が一番のストレスであったので、今まで住んでいた部屋での看護は難しいと考え、私は従兄に実家で最期の時間を過ごしたいと嘆願した。

 

実は私の母の頑固なところが苦手だと言っていた従兄だったが、二つ返事で「ええで」と言ってくれたので私は更に泣き崩れてしまった。私たちは緩和ケアの実情についてまだ何も知らないので、各々リサーチすることにした。

 

一通り母の病状の説明から今後の方針までを話し合って、妹夫婦は帰って行った。私も母の実家から母の部屋に移動した。2晩もほとんど眠れていないのでかなり疲弊していた。

 

20時すこし前に妹からLINEで入電があった。妹も急なことで神経が高ぶってしまい、まったく眠れそうにないという。しばらく話して電話を切った。

 

風呂に入ってから少し体を休めていると、23時過ぎに妹からLINEでメッセージが届いた。妹の娘で私の姪、母にとってたった一人の孫が妹たちでなく、私と連絡を取りたいという。

 

その前に妹と話したところ、親子間で価値観や意見の不一致があり、現在は妹たちと暮らしていないという。妹はそれでも母に姪を会わせたいと思い、前夫を通して姪に連絡しようとしていた。電話口で妹は泣きじゃくっていた。

 

「私のせいでお母さんに会わせられなかったらどうしよう」

 

姪とは妹と同様、妹が再婚する時から十数年間連絡を取っていなかった。私は十数年ぶりに姪と電話で話した。やはり、今まで何事もなかったように普通に話せた。妹と姪の間に何があったのか詳細には知らないが、お互いを憎んでいるわけではなかった。

 

ただ、この2人は今一緒にいることが出来ないのだ。親子といえども違う人間同士だ。分かり合えないことだってある。姪に今の母の状態を話し、会いに行くかと聞くと「うん」と答えた。

 

私たちは小一時間ほど話した後、次の日に一緒に病院に行く約束をした。私は面会ができるとは限らないから、何かメッセージ付きのカードを用意してほしいと頼んだ。姪は妹に似て絵を描くのが上手だからだ。姪は快諾してくれた。

 

母は自身の初孫である姪をとても可愛がった。妹が体調不良で面倒を見れない時は自転車で小一時間はかかる片道を何度も往復して、妹の代わりに家事や姪の世話をした。母はいつも周囲のために走り回っているような人だった。

 

妹はなぜか心配していたが、母の姪に対する愛情はしっかりと届いていた。姪は子供の時から優しく思いやりのある子だった。私はそのまま成長していて誇らしかった。

 

先の電話で私は妹に

「どんな親も完璧ではない。あんなに良い娘を育てたのだから自分を責めることはない」

と伝えていた。本当にそう思った。

 

私は幼い姪を背負って元気に走る母の姿をとても懐かしく思い出した。

 

おんぶして走る親猫