母、星になる ~余命宣告~

突然ガンの余命宣告をされた母と命の選択を迫られた私たちの家族の記録です。

鳴らない電話 ~急変した母の容態~

DAY07AM 2022年7日22日 木曜日

夜中の道路

 

夜中の2時過ぎに母が入院している病院から私のスマホに着信。その後に、母の部屋の固定電話に病院から着信と留守番電話。更に私のスマホに妹からの着信が2件入っていた。

 

眠剤で眠っていた私の耳には電話が鳴る音が全く聞こえておらず、周囲の異変に気が付いたのは妹夫婦が母の部屋に飛び込んで来た時だった。

 

「姉ちゃん!何やってんの?!」

 

「だって電話がぜんぜん鳴らないんやもん!」

 

私たちは妹夫婦の車で母の入院する病院に向かった。妹夫婦は私を呼びに来る前に母の容態が急変したと病院から電話があり、母の病室に駆けつけていた。そして、妹が母に私を呼びに行くと言うと、母は

 

「止めといたり!」

 

と激痛に苦しみながら言ったそうだ。

 

しばらく車で走行し、病院に着いて3時前に母の病室に駆け込んだ。

 

 

 

母はもう動かなくなっていた。


「動かへんやん。。。」


私は動かなくなった母の姿を見て、体温を感じない母の頬に触れて泣き崩れた。

妹は私の泣き崩れる姿を見て、

 

「お母さん。姉ちゃん、動かんから怒ってるわ」

 

と言いながら泣き崩れた。

 


しばらくして当直の担当医が看護師と病室に来た。7月22日午前3時59分、母の臨終を告げた。その医師から病理解剖するかと聞かれたが、命が尽きてからもなお母に辛い思いをさせたくなかったので、私たちは断った。

 

同行した看護師が大腸にステントを挿入する処置を行った21日の夕方から、母はとても痛がっていて医療用の麻薬を使用しても痛みが治まらず、苦しんでいたと言う。

(なぜその時に私たち家族に連絡が来なかったんだろう)

 

看護師が母の身体を綺麗にすると言うので、妹夫婦は病室の外に出て、私は病室に残って手伝うことにした。手術着を来た母の身体を動かす際に、私は母の肩を抱いて母の頬に自分の頬を当てた。何度確認しても、もう母の体温を感じられない。

 

生前からスキンシップというとせいぜい腕や脚といった身体の部位に触れるくらいで、私は母をハグしたことは無かった。私たちは日本人だし、照れくさいからだと思っていた。私は母が動かなくなってから、やっと母をハグすることが出来た。

 

看護師と2人で母の着ている手術着を脱がせて、母の身体をボディシートで拭い、妹が母の為に買ったワンピース型のパジャマを母に着せた。

 

着替えが終わってしばらくすると、妹夫婦が病室に戻ってきて、焦燥しきった私たちは病室に持ち込んだ母の私物の荷造りをしながら、病院と連携している葬儀社が来る明け方まで母と一緒に病室で過ごした。

 

私と妹は母が緊急入院してから自分自身の身体にも痛みを感じていた。私は腰で、妹は腹部だった。私たちは自分たちが痛みを感じることで、母の身体の激痛が少しでも軽くなればいいと思って、母が世話していた地蔵にも願っていた。

 

母が緊急入院してからの激動の数日間で私と妹夫婦は心労と寝不足でに憔悴していた。私たちは母のいる病室で身体を休めながら、言葉少なく静かに朝を来るのを待った。

 

私は、

今まで生きてきてこんなにも辛いことがあるのだと思いました。

 

泣き崩れる人のピクトグラム