母、星になる ~余命宣告~

突然ガンの余命宣告をされた母と命の選択を迫られた私たちの家族の記録です。

母と乗る救急車

DAY05AM 2022年7日20日 水曜日

 

 朝6時頃に母から電話があった。

 

「病気がよくならないのなら転院したくない」と。

 

私はどうすべきなのか判断に迷った。移動すること自体が母の身体に負担をかけるからだ。母には現状のままだと腸閉塞で食べれない状態だから転院して処置をするけど、しんどかったら無理して転院しなくてもいいと説明した。

 

病室の天井とカーテン

 

すると、母は

「少しでも食べれるようになるんやったら処置する。この部屋からも出たい」

と言った。

 

妹と相談して転院するか悩んだが、母の今朝の容態を確認するためにも、私は昨日の主治医の指示の通り8時半に病院に向かった。母の様子を見て体力的に移動が難しいと思ったら当日でも転院を取り止めるつもりでいた。

 

いつも通りに受付で入館手続をして病室に入ると、母は妹が買ってきた前開きのパジャマに着替えさせてもらって私を待っていた。私は母に本当に移動しても大丈夫なのか確認した。母は今まで出産時以外は入院したことがなく、病室に一日中いること自体がよほど辛かったようで、再び

 

「この部屋から出たい」

 

と言った。私は看護師と今日の転院の移動の予定を口頭で確認しながら、病室にあるものを忘れ物の無いように急いでまとめた。そして、転院先まで同行する職員が来るのを待った。

 

待っている間に母が私に「お金の管理しといてな」と頼んできた。私は「わかったから心配しなくていいよ」と答えた。妹には事前にLINEでお金の管理のことを聞いてほしいと言われていたが、細かい話をする余裕などなかった。

 

しばらくして、転院先まで同行する男性職員が2名やって来た。看護師と3人がかりで母を慎重にストレッチャーに移動させた。母はめくれたパジャマの裾を恥ずかしそうに自分の手で直した。私はそっと母の下半身にバスタオルを掛けた。

 

奇しくもこの日に救急車までの移動の際に手伝った看護師は、先日まで母や私たち家族に不安と不快感を与えていた看護師のY村だった。私はエレベーターの中で

「毎日大変ですよね」

と敢えて彼女を労った。

 

救急車の車内

 

母をストレッチャーで1階まで移動させ、そのまま病院の入口に停めてある救急車に乗せた。私が救急車に乗る前に受付のスタッフから主治医が同行できないと聞かされて不安になったが、きっと手術か何かで忙しいのだろうと思うことにした。

 

救急車の中はエアコンが効いていたが、ちょうどストレッチャーの頭の方にエンジン部分があるらしく、母の頭上の付近の温度が高かった。同行する職員に伝えてエアコンで温度を調整してもらうがまだ熱い。私は母に水を飲ませた。

 

救急車の中で移動まで待っている間に、母に聞かれてもう一度、転院先の病院で腸閉塞を治す為に処置をすると説明をした。その時に母は言った。

 

「救急車の乗るの、2回目やわ。1回目はあんたのお産の時」

 

「じゃあ、一緒に救急車に乗るの、今日で2回目やな」

 

と私は答えた。

 

同行する職員は電話で転院先の病院の状況を確認してから、救急車は動き出した。私は座席に座りながら、母の胴体を両腕で抱くように支えた。少し横揺れしながら、母と私を乗せた救急車は転院先の病院に向かった。

 

転院先の病院までの道はかつて母が姪の為に幾度も自転車で通った八尾市までの道のりだった。車窓から外の景色が見える。母は懐かしそうに眺めていた。

「よくこの道、自転車で通ってたもんな」

と言うと、

「また走り回りたいわ」

と、また母は言った。母にとっては自分で自分のことが出来ないこと、動き回れないことが何より辛いのだ。

 

しばらく走行して転院先の病院に着いた。転院元より大きい病院で、発熱外来に大勢の人が並んでいる。その光景を目の当たりにして、不安になる。同行した職員も驚いて外の様子を伺っていた。

 

同行した職員は発熱外来に来る患者と極力接触することのない場所を探して、そこからストレッチャーで母を院内に移動させた。母と私は転院先の看護師に誘導され、1階の入院準備室に通された。同行した職員に御礼を言って別れた。

 

心拍測定器

 

それから転院先の病院での検査が始まった。ストレッチャーのままで母の心拍数と血中酸素濃度が測られる。転院元でも血液検査があり、また血液検査の為に腕に太い注射の針を入れられて嫌がる母。

 

その後に、外来担当の医師がやって来て、入院前にPCR検査を受けた。長い綿棒で鼻の奥の粘膜を取る際に母はとても痛がった。更に心電図を取るために入院準備室から移動するのだが、それまでに待ち時間があった。

 

その間に母が口腔ケアをしたいと言うので、私は専用のスポンジに薄めた洗口液を付けて母の前歯を擦った。背中にはずっと激痛があり、口を開けるものしんどそうだった。それでも母は私に

「気持ちいい。もっと」

と言うので、しばらく歯磨きを続けた。そして、母は私に

 

「何の病気なん?」

と改めて問いかけ、


「病気が治らないんやったら、これ以上痛い思いしたくない」


と母が私に言った。私はその言葉にどう返したらよいか判らず、何も言えなかった。転院先の病院でステントを挿入する処置をしたところで、元のように元気な身体には戻らない。余命が伸びたとしても、自分で身体を動かすことも出来ないのだ。

 

私は私たち家族が下した決断が母の意思に反しているように思えてならず、転院して処置することが正しいのかわからないまま、主治医からの説明を聞くために待合室に移動して順番を待っていた。