母、星になる ~余命宣告~

突然ガンの余命宣告をされた母と命の選択を迫られた私たちの家族の記録です。

処置を行うかの判断 ~命の選択~

DAY06 2022年7日21日 木曜日

 

スマホを眺めている手元

 

昨日母を転院させてから、病室にいる母から電話が来なくなった。私は母の容態が心配で不安になり何度か母の携帯電話に電話したり病院に電話したが、一向に繋がらない。

 

私は妹に昨日の書面で今日のステントでの処置の際に大腸ポリープが見つかった場合は切除するか否かの選択があったが、切除すること自体が母の身体に負担がかかるのではないかという懸念を伝えた。

 

八尾徳洲会総合病院の画像

 

そして妹の知合いが転院先の病院で勤めていると妹から聞いていたので、何とかして病院と、主治医と連絡が取れないか相談した。妹は懸命に病院に電話をかけ続け、なんとか看護師長と話すことが出来た。

 

看護師長は冷笑しながら妹に主治医は忙しいので、患者の容態に関する家族の問合せにいちいち対応出来ないと言われたが、それでも看護師長に食い下がって妹は主治医と電話で話すことが出来た。

 

主治医は母の当日の容態を見て処置を行うか否かの判断をするということと、母の身体に負担がかかるような処置は行わないと言ってくれた。

 

昨日詰所で看護師長から持ち込みのオムツが切れた場合は病院側で用意したオムツを都度使用するとの説明があったので、妹に処置が終わる時間帯を見計らって母のいる病棟にオムツを届けてほしいと頼んだ。ほんの少しでも母の状況が知りたい。

 

処置の中止を申し出ることが出来るギリギリの時間まで私と妹は悩んだが、主治医の言葉の言葉を信じて処置の中止は申し立てず、ただ母の安全を願って時間が過ぎるのを各々の自宅で待った。

 

 

午後になって処置が終わったであろう時間になった。病院からは何も連絡がない。母も処置の後で休んでいると思われたので、無理に連絡を取ろうとはせず、私と妹は母の携帯電話にメッセージのみを送った。

 


夕方になっても、母からの連絡は無く、病院からの連絡も無い。私も妹夫婦も従兄もこの数日間、心配と寝不足で体力を消耗していたので、母の実家でまた夕飯を一緒に食べた。この日は早めに解散して各々の場所で休息を取った。


この日の夜、私は数日間の寝不足と病院にかかわる手続で疲れ切っていたので、疲労を回復させるために睡眠導入剤を飲んで寝ることにした。

 


しかし、私のこの行動が仇となるのでした。

 

 

薬と水の入ったグラス