母、星になる ~余命宣告~

突然ガンの余命宣告をされた母と命の選択を迫られた私たちの家族の記録です。

今からできること

DAY04 2022年7日19日 火曜日

私と妹は日付が変わっても寝付くことができず、夜中過ぎまでLINEでメッセージのやり取りをしていた。妹は緩和ケアや介護認定について調べてくれていた。そして、母にお金の管理について出来れば聞いてほしいとメッセージが来た。

 

母が入院してから私も妹も眠れないうえに身体が痛い。しかし、主治医からの説明を聞きに病院に行く予定があるので、少しでも頭と身体を休めることにした。

 

CT検査の機械

 

この日はやっと連休明けで午前中に入院してからの経過を見るCT検査があり、14時から主治医から改めて私以外の家族に詳しい病状と今からできることに関しての説明していただくことになっていた。

 

私はCT検査の移動の時に廊下で待っていれば、母に顔を見せられると考え病院に向おうとしたが、入院している病棟に電話すると看護師からCT検査は朝一で終わったと聞き、その後に大腸の検査もすると聞いた。

 

午前中の検査の後、11時前に母から電話があり、話すことが出来た。お腹は空いてきたけど、食欲はないらしい。私は妹に今日は主治医から説明を聞く前に母に面会した方がいいのではとメッセージを送った。説明を聞いて泣いたり取り乱した後では母が心配するからだ。

 

私は一端母の実家で妹夫婦と待ち合わせて、3人で車で母の入院している病院に向かった。病院は平日ということもあり、連休中と比べると院内も明るく、人の出入りも多かった。受付の方から主治医が手術中で15分程度遅れると聞き、3人でロビーで待った。

 

しばらくすると、手術着のままの主治医が私たちの傍を通り過ぎた。そして、私たちに気づいた主治医は私たちを1階の奥の部屋に案内し、担当看護師の立ち合いのもと母の病状に関する説明が始まった。

 

肝臓ガンのCT画像

 

主治医は午前中に行ったCT検査の画像を私たちに見せながら母の病状について改めて説明した。良くない状態であること、そして午前中の大腸検査で大腸ガンが見つかり腸閉塞になっていると説明された。

 

そして、胆管が詰まっていて胆汁が出ないことで黄疸が出ていて疲れが取れない、元気が出ない状態であること。これらの処置をしないと何も食べれないし、これ以上元気になることはないと説明された。

 

その上で私たちは母にとって何が最善であるか、どうすれば母が苦しまずに家族との時間を過ごせるのか、考えて決めなくてはならない。

 

その説明の後で、主治医から提案があった。主治医が信頼する肝臓外科の医師が八尾の病院にいるという。その医師であれば、余命宣告を受けた危篤な状態の患者を受け入れて処置できるとのことだった。

 

私たちは選択を迫られた。何の処置も行わず、このまま入院している病院で延命治療を行うか、転院させてステントと呼ばれる器具を母の大腸と胆管に入れて少しでも食事ができる状態にして回復させるか。処置しても延命できない可能性もある。

 

この時、私たちは改めて母の死が迫っていること、残されている時間が少ないことを思い知らされてどうしたらいいのか分からなくなっていた。医師の提案にすがって母が少しでも元気になることを願わずにはいられなかった。

 

正直少し考える時間がほしいと思ったが、主治医は私たちの目の前で転院先の医師に電話をかけて承諾を得た。そして、明日転院する際に主治医自身が一緒に救急車に乗って同行すると言ってくれた。転院には私が付き添うことになった。

 

主治医の説明を聞いて、私たちは泣きながら母の転院と、体力回復したらこの病院での緩和ケアや訪問看護を受けることを決めた。その後すぐ、医療ソーシャルワーカーの方と話して母の介護保険の加入手続も行った。

 

それから私と妹は母の病室に向かった。

 

私たちはまた普段通りに会話して、濡らしたタオルで母の身体を拭いたり、何か困っていることはないか聞いて、明日に転院して処置することも説明した。もし当日に移動する体力がなければ転院はしないことも。

 

「明日は朝から私が来るからね」

 

そう母に言って、私と妹は母の病室をあとにした。

 

母はまだ自分の病名も残された時間が少ないことも知らない。本人に意思確認出来ないまま、延命治療を行うこと、転院させることに母を騙しているような罪悪感を感じていた。医療の知識のない者とって正しい判断は極めて困難なのだ。

 

私たちは自分たちの下した判断が最善だと信じるよりほか仕方なかった。