母、星になる ~余命宣告~

突然ガンの余命宣告をされた母と命の選択を迫られた私たちの家族の記録です。

母と妹

DAY02 2022年7日17日 日曜日

結局、母の部屋でほとんど眠れず次の日の朝を迎えた。
母の病状を妹にどう伝えるべきか思い悩み、早朝にLINEでメッセージを送った。

 

スマホでLINEする手



妹は腫瘍がまだ悪性でないかも知れないという望みを持っていた。
LINEでメッセージを何度かやり取りして、通話で話した。

 

妹と話している最中に母から電話がかかってきて、急いで出た。
私たちの顔を見ないとご飯が食べれないらしい。私は病院の整形外科に電話して面会を申し入れた。

 

特別な理由がない限り病院での面会は禁止だが、今日は足りない衣類などを届けるために病院に向かうと言うと
妹も行きたいというので午後に現地で落ち合うことになった。

 

何も知らない父がノックもせずに母の部屋に入ってきた。
私に母が退院したら二人で暮らすように言うので、無論だと答えた。
私は以前から母と暮らしたかった、父に一人で暮らすようにと言うと
父は「俺はどうなってもいいんか」と言う始末でまったく話にならず、
時間と労力の無駄になるので、それ以上は相手にしなかった。

 

妹とは十数年前に最寄り駅の付近で話したきりだった。
その時、妹は娘を連れて再婚するという挨拶に来ていた。
その後は実家とは距離を置き、私とは音信不通になっていた。

病院のロビーで妹を待つ。休日だから人気がない。

 


しばらくして妹がやって来た。再婚相手の男性と2人でやって来た。
妹は相変わらず、年齢よりも随分と見た目が幼い。

今まで私たちの間に何事もなかったかように普通に話せた。今はそれどころではないからだ。

病院の受付に向かい、面会申請の書類を書いて事情を話す。
整形外科の看護師から主治医に電話で連絡してもらい、
主治医の許可が下りたので、2人で母の病室に向かった。

私は母の病状を見た時に妹が取り乱さないか心配だった。
母はまだ自分の病気が何で、どんな状態なのか知らない。

私たちは詰所を通って、母の病室に入った。点滴せいか、前日より落ち着いていて元気に見えた。妹は母の姿を目の前にした時、泣きそうになるのを堪えていた。

母は妹を見た途端に、妹の娘である溺愛する孫の名を呼んだ。少しして妹だとわかって、来てくれたことにお礼を言った。

私たちは普段のように母に話しかけ、身体を濡らしたタオルで拭いたり、
「何か必要なものはないか」「何か困っていることはないか」
などと聞いて普段のように話した。

 

私は約束通り、アイスクリームを持参したので食べさせた。
母は「おいしい」と言ったが、一口だけでそれ以上は口にしなかった。

母の現状を一番受け入れられないのは誰よりも母自身だ。
あんなにも健康に気遣って、健康診断を受けたり、毎月のように内科医にかかっていたのに。。。

布団よりベッドで横になる方が楽だと今更のように言った。
背中の痛みは入院してからもずっと出産の何倍も痛いらしい。
私たちは普通に振舞って母の気を紛らわせることしか出来なかった。

 

母は自分で動きたいと言って、背中全体の激痛に耐えていた。

 

私たちが泣く泣く病室を出ようとすると母は話しかけてきた。病室で一人になりたくないのだ。

 

私たちも母を病室に一人にしたくはなかった。今の母は娘の顔を見ることしか、自分自身を保っていられる支えがないからだ。

 

この日も母は背中じゅうの激痛に耐えながら娘の前で気丈に振る舞った。母親はどんな時も母親なのだ。自分の命が消えてしまいそうな時でさえ、娘の心配をしている。

 

私は涙を堪えて「お母さんはすごいな」と言うと「そんなことない」と謙遜して見せた。 私は心底、母親という生命体の強さと尊さを思い知ったのでした。