母、星になる ~余命宣告~

突然ガンの余命宣告をされた母と命の選択を迫られた私たちの家族の記録です。

母の四十九日

the 49th day after Mom's death

私は母の分骨と3日間過ごした民泊のマンションの一室で朝を迎えた。母を亡くしてから、朝が弱かった私はなぜか早起きになった。不思議と6時くらいに目が覚める。私は母と一緒に朝食を摂りながら、荷造りを始めた。

 

今日は母の四十九日だ。母を亡くしてから49日間という時間が経った。仏教では故人が49日間で極楽浄土(天国)に辿り着けると言われている。

 

私は母の分骨と電車で母の暮らしていた部屋に向かった。そこに9月4日の四十九日の法要でお寺の住職からいただいた母の経木があるからだ。午後から母が祖母の供養でしていたように経木流しに行く予定だった。

 

電車から見る青空

 

鶴橋駅から布施駅の間で電車の車窓から外の景色を見てみると、いつもはどんよりとした大阪の空が穏やかに晴れ渡り、海のような青空の中に雲が波打っているのが見えた。私は成仏して天に昇っていく母の存在を感じ、電車の中で静かに涙を流した。

 

初七日の経木流しの際は姪が同行してくれ、今回も行きたいと言ってくれたが一日中アルバイトのシフトが入って行けなくなった。私は母が使用していたリュックに母の満中陰と書かれた経木を入れて電車で天王寺に向かった。

 

天王寺駅に着いてから四天王寺まで歩き、境内にある北鐘堂に行き、僧侶に母の経木を読み上げていただいた。通常であれば、読み上げた経木は自分で亀井堂まで持って行き、係員に水盤へ流していただくが、現在はコロナ対策として寺側が実施している。

 

その後に私は境内にある大きな弘法大師の立像のところに行き、生前に周囲を気遣うあまり誰にも頼れなかった母のことを偲んで、魂だけになった母がもう辛い思いをすることの無いように母を守ってほしいと願った。

 

次に私はその足で一心寺に向かった。そこには母の父母がお骨佛となって眠っている。昨夜にそのことを母の姉である叔母から聞いて、私は母の分骨を一心寺に納めたいと思考えた。たまに音楽や演劇などのイベントがある寺で、名前は知っていたが訪れるのは今回が初めてだった。

 

お骨佛の寺として有名な一心寺は大阪市天王寺区の「逢坂(おうさか)」という町にある。四天王寺から数分歩いて坂を下った場所に寺はあった。お骨佛とは多くの故人の遺骨で造られた仏像のことで、10年毎に造立されている。

 

近代的な山門にアート作品のような迫力のある仁王像が立っていて、寺の境内もモダンな造りで今まで見たどの寺とも違う自由な雰囲気だった。お骨佛の脇には大きな献花台があり、平日にもかかわらず沢山の花で溢れかえっていた。

 

お骨佛の画像

 

私はお骨佛を拝顔するのが初めてだった。木や石から造られた仏像とは様相が異なり、テクスチャがとても滑らかで穏やかで美しいお顔立ちだった。私はこの寺なら私も妹たちも離れて暮らす親族も祖父母や母の供養に来られるし、母の亡骸がお骨佛として人の為になれば、母も安心でき納得してくれるだろうと思った。

 

一心寺からの帰り道に仏壇店でコンパクトな仏壇を見たり、かりんとう饅頭のお店に立ち寄り母へのお供えを買ったりした。それから母とも行ったことがある「てんしば」という名前の人工芝の公園に行き、夕日を眺めながら短時間だけくつろいだ。

 

今回は私一人で母の供養をしに出かけたので、少し心細く感傷的になって四天王寺弘法大師像の付近で悲しみがこみ上げてきて泣いてしまったが、私なりに母の供養が出来たと思った。

 

故人の供養の仕方は人それぞれだ。供養がどんなカタチであれ、誠意があって心がこもっていれば、きっと故人の魂を鎮めることが出来ると私は思う。私は祖母や母がなんとなく供養の仕方を伝授してくれていたことに感謝した。

 

母は生前、私にこんなメッセージを送っていた。

 

「人は亡くなっても
 
 人として生まれた魂は
 
 その人だけのもの」

 

私は私たち姉妹を命がけで生んで育ててくれ、命が尽きる間際まで私たちを守ろうとしてくれた母に感謝しています。これからも思いやりのある母のように人のために出来ることは微力でもやっていこうと思います。

 

「お母さん、
 
 命がけで生んでくれて守ってくれてありがとう
 
 お母さんと話せなくて寂しいけど

 
 がんばるから空から見守っててな」