母、星になる ~余命宣告~

突然ガンの余命宣告をされた母と命の選択を迫られた私たちの家族の記録です。

母からのSOS

DAY00 2022年7月15日 金曜日

スマホへのSOS

 

母は腰痛で眠れない、ご飯も食べれない状態が数週間続いているため、
再び整形外科を受診する予定になっていた。
しかし、午前中の受付終了時刻が近づいてきても母は部屋から移動できずにいた。

 

6月29日に腰痛で池田病院の整形外科を受診した際にレントゲン撮影をしたが
異常は見当たらず、湿布を処方されただけで、骨折しているかもと言われていた。
仕方なくその後、近所の整形外科を受診し、そこで痛み止めの注射を受けていたが
効かないし、相変わらず腰の痛みで眠れないという。

 

当初7月14日は午前中に同病院で父の胃カメラの検査があり、父の付き添いとして
一緒にタクシーで病院に向かう予定だったが、前日の13日に母が父に

 

「体調が悪いから一人で行ってきて」

 

と言い、父は一人で病院に行ってしまった。

 

それでも母は駅から自分でタクシーを拾って病院に行くと言う。
私は14日午前中、不眠の治療でクリニックに向かうところだった。
私は3年前から大阪を離れて関東で暮らしており、すぐには駆けつけられない。

 

私は母にそんな状態では一人で病院に行かせられないから、妹に頼もうと言うと
妹が勤務する医療機関感染症の患者が多数来院するので頼めないと言う。
大阪に住む私の従兄弟に連絡しても返信がない。一端、母は電話を切った。

 

再び母から入電があった。私は14日午前中、不眠の治療でクリニックにいた。
今日に限ってタクシーが捉まらないと言う。
周囲の誰かに話しかけられてどこかに向かう母。電話は切れた。

 

駅前のタクシー乗り場

 

私は池田病院に電話して受診の予約があり、急いで向かっているが
11時半までに着かない可能性があると伝え、病院に母が到着し次第
連絡をもらえるようお願いした。

私自身の受診を終えて、帰省を控えてPCR検査を薬局で申し込んでいる時に
病院から連絡があり、看護師さんから母の到着を知らされた。
受診後はタクシーで自宅に帰ったと言う。

 

同じ日の21時頃、電話越しに母が私に

 

「お願いだからすぐに帰ってきて」

 

と悲痛な声で言った。いつも「大丈夫」が口癖の気丈な母からだ。
私は「わかった」と言ってその日の深夜に夜行バスに乗った。

それまで電話越しに聞く母の声は少し疲れているのかな程度で
大きな変化は見受けられなかった。

 

私は実際に母の姿を見るまで、母の状況をまったく把握できないでいた。

 

夜行バスの車内