母、星になる ~余命宣告~

突然ガンの余命宣告をされた母と命の選択を迫られた私たちの家族の記録です。

母の緊急入院

DAY01 2022年7日16日 土曜日

スマホを持つ手

 

夜行バスで早朝なんばに着いていつものように朝食を取っていると
母からメッセージが届いた。

 

「帰って来て なんか身体全体が変(涙)」

 

私はすぐに病院に行ける状態なのかとメッセージを送って電車に乗って実家に向かった。

 

9時半ごろ実家に着くと、部屋の中で母は今まで見たことのない辛そうな表情を浮かべて衰弱してイスに座っていた。

 

私は母が尋常ではない状態であることを瞬時に悟り、昨日母が必死に一人で訪れて今日MRI検査を受ける予定の池田病院と
母が20年近く通っていた近所の内科医に連絡を取っていた最中に
父親が私が帰省しても自分を無視しただのと私に掴みかかってきた。

 

80歳を過ぎているとは思えない強い力で私に掴みかかってきたので
私も攻勢せざるを得ず、背後から足を払ってゆっくりめに父を床に倒し
マウントを取って両腕を押さえつけて父に叫んだ。

 
「なんでこんな状態になるまで放っといたんや!!!」

 

父は自分が母に話しかけても「あっちに行け」と言われるから気づかなかった、私と妹に携帯電話から何度か連絡していたが連絡が取れなかったと嘆いた。
(後に判ったことだが、父の携帯電話が故障していて発番非通知になっていた)

 

私は近所の内科に行って竹村正子医師が作成した紹介状を受け取り、母と駅前からタクシーでMRI検査のために池田病院に向かった。

 

病院に着いてすぐ整形外科の受付で状態を伝えて紹介状を手渡し順番を待って、母を車椅子に乗せて放射線科に向かった。検査着に着替えるのも辛そうだ。

 

背中、特に腰に激痛がある状態で母はMRI検査に耐え、整形外科を受診し
私と母は話しながら1階のロビーで結果が出るのを待っていた。


土曜の整形外科の担当医は母の担当医ではなかった。その医師が私だけに
肝臓に腫瘍が見つかり腰骨を圧迫骨折していて黄疸も出ていると言った。

 

その後、ロビーで再び待っている間に母の身体に今朝は見られなかった黄疸が出てきて、眼球の血管が赤くが浮き出てきた。


そこから更に名誉院長である医師から詳しい病状を聞いた。その医師から今までの主治医は誰か聞かれて近所の内科医だと答えた。


私はこんな危険な状態では母を移動させられないので当日に入院を希望した。

 

病院の個室

 

運良く個室が空いているので、当日に入院できることになり、
母はファミリールームと呼ばれる詰所の隣の病室に入ることになった。
母はお産以外で入院したことなどなく、とても不安げだった。

 

私は実家に戻って入院に必要な備品をまとめて再び病院に向かった。
病室に入院中に必要になりそうなものを運び入れた後に隣の詰所で
名誉院長である医師から病状の詳細を聞いた。

 

「肝臓にガンがあり、骨にまで転移している。治せる状態ではない。」

 

その医師は医療の知識が無い者にも理解できるように、尚且つショックを軽減するように言葉を選んでその内容を私に伝えた。
私は突然の母のガン宣告と余命宣告に現実を受け入れられず、なぜか平然そうに見えた。


私は母に出来るだけのことをしようと医師の前で気丈に振舞っていたが、


「入院中に会えるのは今日までで今度会える時は最後です。」

 

という医師からの言葉に私は泣き崩れそうになった。
今どこの病院も新型コロナウィルスの感染症対策で面会禁止になっている。

 

私は主治医となる名誉院長に母を病室に一人には出来ない。一緒にいられる
時間が残り少ないので短時間で良いから面会に来させてほしいと嘆願した。

 

私は何事もなかったように母のいる病室に入って、晩ご飯を一緒に食べた。
母は病院食が口に合わないとこぼし、ふりかけが必要だと言った。
母は夏場に体調を崩すことが多く、食欲が減退してスイカをよく食べていた。

 

「スイカなら食べれるんじゃない?」と聞くと
「アイスが食べたい」と言うので買って持ってくると約束した。

 

そして、14日の受診後に具合が悪いまま病院から自宅に帰るのに困っていたところ、ご近所のサトイさんに声を掛けられて一緒にタクシーで帰れて助かったから
サトイさんに夏の和菓子を御礼に持って行ってほしいというので、私は「わかった」と返事をした。

 

新型コロナウィルスの感染症が流行していなければ、面会時間は20時までだった。私は母と一緒に居られるのが今日が最後になってしまうのではないかと不安になり面会時間を過ぎてもなかなか病室から出られなかった。

 

それでも泣く泣く病室から出なくてはいけないので
「じゃあ、また来るからね。何か必要なものがあったら電話してよ」と言うと母はガラケーの携帯電話を握りしめるようにしてベッドに横たわった。

 

病院を出て家路につく途中で母の実家の前を通った。
母は自分の母親と同じように毎朝実家の隣にある地蔵の世話をしていた。
私はあんなに人の為に尽くしてきて、健康に気づかっていた母が何故という気持ちに襲われて手を合わせても何を拝んでいいのか分からなくなった。

 

20時45分頃に妹から電話があった。しかし、私は妹を始め、親族一同に伝えていいのか分からず、なんとか母の部屋で眠ろうとした。母は普段から和室に敷布団を敷いて寝ており、7月7日に床からの起き上がるのが大変だからベッドを用意したいとメッセージを送っていた。


それ以前に敷布団があまりにも薄いのでマットレスを買おうと提案していたのだが「大丈夫やから」というので買うことはなかった。しかし、実際に母の敷布団で寝てみると腰が痛くてまったく眠れない。

 

後から気づいたが、普通の体の状態で痛くて眠れないが、その痛みすら感じていなかったということはかなり以前から身体が病魔に蝕まれていた可能性が高い。

 

私は何故もっと早く気づいてやれなかったのだろうと悔やんだ

 

 

嘆く人